Vol.17

編曲家という仕事 vol.2 ~歴代のヒット曲を中心に辿る船山基紀の世界~

出演者
船山 基紀 ゲスト:羽島 亨 司会:田渕 浩久
日程・時間
2019年9月8日(日)

OPEN 12時30分

START 13時00分

開催場所
三軒茶屋 GRAPEFRUIT MOON
住所
東京都世田谷区太子堂2-8-12 佐々木ビルB1

ケモノディスクライブ vol.17は今年1月に開催したvol.16に続き、日本を代表する編曲家・船山基紀さんをお招きしました。今回は音楽制作の現場についてより深くお話を伺いたいと思い、40年以上に渡り船山さんと一緒に音楽制作をされている音楽プロデューサーの羽島亨さんをゲストにお迎えしました。「船山基紀の何がすごいのか」を大きなテーマに、3つのパートに分けて話は進みました。
 

 

一つ目のパートでは、「羽島さんにとって船山基紀とは」というテーマで、1976年発売の山口百恵「パールカラーにゆれて」、1977年発売の沢田研二「勝手にしやがれ」を取り上げました。羽島さんは学生の頃から音楽業界で仕事をしたいと思い、様々なヒット曲を自分なりに分析していたそうですが、それまでのアレンジャーのやり方とは全然違う船山さんのアレンジに衝撃を受けたそうです。船山さん曰く、聴いている人に隙をあたえない畳み掛けるようなアレンジは、音楽プロデューサーの酒井政利氏や、筒美京平氏の影響も大きかったそう。歌謡曲においては、聴いている人が何?と思うようなキャッチーな部分が大事だということでした。
 

 
1970年代、恵比寿にあったヤマハで、アメリカ帰りの渡辺貞夫氏が週一回ジャズを教えていました。当時船山さんはヤマハに勤務されていて、渡辺氏が持ち帰ったバークリー音楽大学の教本や、すでに編曲家デビューしていた萩田光雄氏のスコアなどを見て独学で編曲を学んだそうです。それまでのアレンジャーはジャズミュージシャンやクラシック畑出身の人が多く、全ての楽器のアレンジをこと細かに音符で記していたが、船山さん以降は細部のアレンジはスタジオで演奏するミュージシャンから引き出すという、バンドアンサンブル的な手法に変わっていったそうです。

 

 

二つ目のパートでは、船山さんと羽島さんの共同制作話をテーマに、田原俊彦「ハッとして!Good」・「ジュリエットへの手紙」・「抱きしめてTONIGHT」、2015年発売の近藤真彦デビュー35周年記念盤から「ギンギラギンにさりげなく」、2018年発売のKing & Prince「愛のすべて」を取り上げ、その曲にまつわるエピソードをお話いただきました。

 

 

1979年、羽島さんはポニーキャニオンに入社。翌年には田原俊彦のディレクターになり、2ndシングル「ハッとして!Good」で船山さんと初めて仕事をすることになります。当時は今のような打ち込みの器材も無く、ディレクターはレコーディング当日までどんなサウンドになるのか全く分からず、眠れぬ夜を過ごしたこともあったそう。レコーディングが始まり、矢島マキ氏のピアノがバッチリ決まった瞬間、これはヒットすると確信したそうです。

 

 

「ジュリエットへの手紙」はとても美しいピアノのイントロが印象的なバラード。羽島さんはショパンをイメージして作曲の宮下智氏に発注しました。フルオーケストラでのアレンジをイメージした羽島さんは余裕を持ったスケジュールを組んでいましたが、船山さんの元に譜面が届いたのはレコーディング当日の朝。しかもレコーディングは昼の1時から。羽島さん的には絶体絶命でしたが、船山さんにとっては朝譜面をもらい、3時間ほどでアレンジするというのは日常的なこと。そんな短時間でアレンジされたとは思えないスケールの大きな美しい楽曲です。

 

 

1988年発売の「抱きしめて TONIGHT」は、デビューから数年経ちヒットが出にくくなっていた田原俊彦の起死回生となった曲。TVドラマの主題歌に採用されることがはじめから決まっていましたが、筒美京平氏のデモを聞いた羽島さんは「このままだとキャッチがないから何とかして欲しい」と船山さんにリクエスト。そこで船山さんはデモのイントロの前に新たなイントロをつけたのですが、筒美氏はそのイントロを気に入いらず、レコーディング現場で羽島さんは冷や汗をかいたとか。

 

 

羽島さんから伺うレコーディング話は非常にスリリングで、ドラマになりそうな興味深いエピソードばかりでした。

 

 

2015年発売の近藤真彦デビュー35周年記念盤は船山さんが全曲アレンジ。ストリングスやホーンセクションを入れたフルオーケストラで演奏され、全曲一発録りです。オリジナル・アレンジを活かしながら、とてもゴージャスな仕上がりになっています。船山さんが指揮を振り、ミキサーは内沼映二さん。日本最高のミュージシャンが集まり、船山さんにとっても楽しい仕事だったそうです。

 

 

三つ目のパートは「音楽界にとって船山基紀とは何なのか」という大きなテーマで進行。羽島さんが40年以上船山さんにこだわる理由は、「自分で想像するアレンジとは全く違うアレンジを聴かせてくれる」からだそう。船山さんにとっても羽島さんとの仕事は、「ここまでやったらダメということがなく、無制限にやれるところまでやれて楽しい」とのこと。お二人は、人と同じ事をしたくない、世間を驚かせたいという部分で共通しているそうです。
羽島さん曰く、「船山さんは自分で演奏している訳ではないのに、譜面だけで人を惹きつけてしまうのは凄いマニアックで特殊な能力。40年以上アレンジで人を驚かせ続けてきたが、その驚かすネタが日本最高峰」とのことでした。

 

 

最後に「日本の音楽界にとって船山基紀は何だったのか?」という大きな質問を羽島さんにぶつけました。「渡辺貞夫氏がアメリカから持ち帰った、当時最新の音楽理論を学んで日本の歌謡曲に取り入れた。」「テレビ歌謡の1分半という短い時間の中で、人を惹きつけることに特化した才能を持っていた。」「40年以上に渡り、時代の流れに従って形をどんどん変えてきた。」この3つの点において船山さんは、日本の音楽界にとって稀有な存在となったとのことでした。

 

 

船山さんご本人が「どんな音楽にも対応したいという気持ちはいつもある。音楽に好き嫌いは無くて、ロックもジャズもクラシックも演歌も、素晴らしいものは素晴らしい。ジャンルは関係ない」とおっしゃっていたのが印象深かったです。

 

 

40年以上日本の音楽界の第一線で活躍し続けてこられた船山さんの凄さを具体的に伺えた、とても貴重なトークイベントになりました。